トレードオフを超えて

先日から書いているトレードオフシリーズです。任天堂の故岩田社長は「全てはトレードオフだ」と仰っていましたが、実はそれは「それを超えるアイディアが望ましい」と続きます。僕が先日書いた「読者層によって最適な物の言い方は変わる」というのは、意地悪く言い換えれば「理解力の乏しい人にはそれなりの情報しか伝えられない」ということです。でもそうじゃない言い方があれば最高です。

かなり前ですが、秋川雅史氏が合唱経験のない子ども達に「千の風になって」を指導、指揮する、というTV番組を観たことがあります。その際の秋川氏の教え方は「ボクが指揮中に指で1を出したら普通の声で、2なら大きな声で、3ならもっと大声で歌ってね」というものでした。初心者の子どもにも理解できるくらい平易なのに、ある程度繊細なディレクションにもなっている秋川氏の言い方に感動したのを覚えています。

で、迎えた本番のステージ。最後の大サビのところで秋川氏は「5」を出したのです。「3」が最大のはずなのに「5」!!子ども達はその場でも何かを感じたでしょうし、もしかしたら数年後に更なる奥深さに気づくかもしれません。僕はさすがにいい大人なのでその場で泣きましたが笑。


上の図は「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」からの引用です。まさにトレードオフを絵に描いたような図です。多くの人の地道な努力と、歌に於ける秋川氏のようなスーパークリエイティブな人の発想で厳し過ぎるトレードオフ的状況が少しでも緩和されることを祈ります。


トレードオフシリーズ
1「トレードオフな世界で」
2「文章、コロナ、トレードオフ」
3「トレードオフを超えて」

窓の外

志村けんさんの夫婦コントが好きでした。グダグダの痴話喧嘩が、どうして人生の奇跡のように輝くのか。例えば寒い冬の日に温かい部屋でスープを飲んでいる人よりも、窓の外でその様子を見ている人が思い描くスープのほうが美味しいはずです。僕は志村けんのコントはそれだと思いました。長谷川町子の「サザエさん」も同じです。

志村けんの表面的なライフスタイルは孤独とは真逆だったかもしれません。でもその奥にあるのはそういう構造だったのではないかと思えてなりません。
彼は結局最後まで部屋に足を踏み入れなかったのか、それは幸せだったのか。本当のところは誰にも分からないけれど、そんな人生の不思議さは幸せという言葉より輝いて見えます。

th

コロナの感染リスク低減にはお互い距離を取ることが大切、ということで、幾つかの企業がロゴマークの構成要素を分解して離すキャンペーンを展開しています。スバラシイ。

という訳で、このサイト(tomo-hirasawa.com)のロゴマークも分解しましょう。意味を訊かれて説明すると物凄く納得して頂けるのですが、今までこれに自力で気付いて言ってきた方はいませんでした笑。

文章、コロナ、トレードオフ

先日の記事で「全てはトレードオフだ」と書きました。文章表現も基本的にはそうだと思います。つまり直線的にひたすら書けば伝わる訳ではなくさじ加減が大事なのですが、最適なさじ加減は読者層によっても変わってきます。

再びコロナを例に取ると、コロナを撲滅する方法がないことは既に多くの人が理解しています。でも厚労省オフィシャルにはそのような言い方は見当たりません。全体としてはその前提で書かれているのだから、いっそハッキリ書いたほうが意図が明確になるであろうにも関わらずです。

これは彼らの文章表現が下手な訳ではなく、読者の数や幅が桁違いなので僅かな言葉のアヤから誤解や攻撃をされるリスクが高いからでしょう。かと言って長過ぎる補足説明をしても、そもそも読んでもらえない、理解されないという別のリスクが増大します。そのような中で精一杯工夫した表現になっていると思います。要するに如何にコロナに対応するかという問題も、その対応策を如何に伝えるかという問題も、両方ともトレードオフなのです。

一般的に、トレードオフ的なさじ加減を模索した痕跡がある文章はそうでない文章より信頼できる可能性が高いです。でもこれは裏を返せば、信頼できる文章ほどある種の語彙や冗長な説明を避けているということです。つまり隙があるので反論の為の反論を呼び寄せることがあります。それに惑わされず本質を見ることが大切です。

でもこれはとても難しいことです。自分の経験で言えば、殆ど全ての広告主は最初は15秒のCMに全てのメッセージを込めようとします。これと多くの人が「とにかく沢山買い溜めておけば安心」と考えるのは根本が同じです。それでも今まではなんとか社会を運営してこれましたが、そろそろ誤魔化しが効かなくなりつつあります。人類は今すぐにでも、もう少し賢くなる必要があります。


トレードオフシリーズ
1「トレードオフな世界で」
2「文章、コロナ、トレードオフ」
3「トレードオフを超えて」

小さい子のように

最近ちょっと働き過ぎな自覚があったので、先日珍しく1日休んでみました。で、どうだったかと言うと全然楽しくなかったです笑。その翌日仕事をしたら明らかにそっちのほうが良かったです。

僕は、小さい子がレゴブロックをずーっといじっているように映像を作ること自体が好きなのですよねー。そのくらい一生懸命作ったものなので関係各位に大事に扱ってもらえるととても嬉しいのですが、かと言って自作をTVやSNSの広告で見かけたら物凄くテンションが上がるという訳でもありません。無条件に楽しいのは制作プロセス自体です。

例えば自分の作品が何かの賞、それこそアカデミー賞を獲ったとしてもその事自体はあまり嬉しくないと思います笑。これは20代の頃から分かっていました。勿論その機会があれば頑張るとは思うけれど、楽しさは制作プロセスにしかないということです。逆に言えばその楽しさは相対的要因に左右されないので、強固です。

相変わらず若い方から職業について相談されるのですが、情報過多な中で相対的なことを気にし過ぎている印象があります。相対的な競争にどう勝てばいいのかは僕もあまり分からないのだけれど、もしかしたらそもそも競争せずに好きなことを楽しむだけで物事が前に進む可能性があります。