本来楽しい

先週末はセンター試験だったのですね。学生時代、受験勉強が嫌で嫌で仕方がなかったことを思い出しました。そのせいで自分が本来勉強好きなことに長らく気付けなかったくらいです笑。つまり本来の楽しい勉強と受験勉強に違いがありすぎるのです。

例えば読書好きの人は本を選ぶのも楽しいだろうし、好きな作家なら文体自体も好きでしょう。でも国語の試験であまり興味がない作家の文を、それも一部抜粋され虫食いにされ漢字が仮名に置き換えられた形で読まされる時点で、楽しみはほぼないですね笑。その状態で読解力を発揮しろというのは、可能だとしても興ざめです。もし国語の問題という形でしか文を読まない人がいたらその人が読書好きになる可能性はかなり低いはずで、これは深いところでの矛盾です。

しかし、これは大人として学生の皆様に申し訳ないのですが、代案がある訳でもありません。大量の答案を機械的に処理する前提で個々の才能を正確に測る問題を作るというのはなかなか無理ゲーです。その無理ゲーに挑み精一杯善処しているのが現状だとも思います。

敢えて本質を言えば、自分で問題を作り自分で解くのが一番良いということになります。例えばノートPCを封筒に入れられるほど薄くできるか、という問題をジョブズは自分で作って自分(の会社)で解いたのです。でもそれをいきなりやれ、と学生さんに要求するのは無理があるでしょう。だからこそ才能の芽を見つけよう、というのが教育なのですが行き届かないのですよね。もし試験問題がつまらないと感じるのなら、その感性は大事にしてほしいです。人生にはその億万倍楽しいことがあります。

手が届く


最近こんな話を読みました。

どこでもいいので、地球上の1地点をまず決める。次にそこから穴を掘り、地球の中心を通って反対側に突き抜けた地点(日本に対するブラジルみたいな)を考える。当然この2地点の気温は違う。でも、ある地点とその反対側では気温がピッタリ同じになる、そんなペアが必ず存在する。

面白いですよね。これは事実で、数式を使った説明は探せば見つかります。ただ僕は数式が苦手で、かつ難しげなことをなるべく簡単に説明するのが好きなので、(僕をはじめとした)文系にも優しい説明を考えてみました。

A地点と、その反対側であるB地点の気温を測定します。で、実際に何度だったかは無視して気温の差のみを記録し、その数値を旗に書きます。A地点がB地点より10度温かいなら「+10」と書いた旗をA地点に立てます。B地点には勿論「-10」と書いた旗を立てることになります。この調子で、A地点を出発しB地点を経由しまたA地点に戻ってくる、つまり地球を1周する線の上に隙間なく旗を立てます。

旗の数値は連続的に変化するので、+10と-10が既に存在している以上、その中間である「0」の旗も円周上のどこかに必ずあるはずです。旗の数値が+10から、0を経由しないで-10になることはできないからです。その場所こそが気温差0、つまり反対側と気温がピッタリ同じになる地点です。

如何でしょうか笑?この言い方なら小学生でもなんとか分かるんじゃないかなー。ちなみにこの応用で「気温と気圧両方が一致するペアが必ず存在する」ことも説明できます。説明自体は本稿の主題ではないので省きますが(数式を使った説明は探せば見つかります)、直感に反した素晴らしい結論です。勿論これは地球に限ったことではなく、ビー玉でも月でも土星でも、もっと言えば直径100万光年の球状の領域でも成り立ちます。

文系に優しい簡単な理屈でも、それが正しければ100万光年の彼方に手が届くのだから楽しいね、という話でございます。

飽き性

今年も関係各位のお引き立てによりいろいろなお仕事をさせて頂きました。具体的には作品リストのページに一部ですが掲載しています。

「今年はあまりにも調子が良すぎた。今年がピークなんじゃないだろうか」と20年くらいほぼ毎年思っています笑。ただクリエイティブ業界の怖いところは、そのような望外の前進と現状維持がほぼ同義であることです。つまり昨年と同じことをやっていた場合それはかなりの速度での後退を意味します。そして更に5年に一度くらいは根本的に新装開店する必要がある感じです。

ただ義務として新装開店するのではなく、春になったら冬のセーターが暑すぎるので無意識的に脱ぐようにそれができれば良いですよね。そのような着替えは苦ではないし、むしろ「うわー暑い!」という物凄く実感のこもった感情表現になります。そして、ここが本当に怖いところなのですが、そのような義務的でない新装開店以外実は無効なのです。本当の感情表現ではない下心を市場は見抜くからです。

ちなみに僕は年代的に小室哲哉ブームど真ん中なのですが、彼はデビュー時に抱負を訊かれて「普遍的な曲は作りたくない。今この瞬間を感じる音を作りたい」と答えています。この短い言葉は僕が上でグダグダ書いていることの要約以上のものです。凄い知性ですよね。

講演します

映像制作のお仕事について、お話させて頂きます。11/8(金)19:00〜20:30@新橋。主催は僕がよく一緒にお仕事させて頂いている、映像系クラウドソーシングのVIDWEBさんです。イベント詳細はコチラ

僕がこのブログでいつも書いているのは、直接的な場合もそうでない場合もありますが基本的には若い方へのメッセージです。で、このイベントも概ねその方向性です!但し物凄く具体的な仕事に関する話もしますし、CGの解説もします。

お値段は8000円になりましたが、まあ妥当だと思います笑。プレゼントをタダであげたい気持ちもあるのですが、それが社会的に妥当かと言うとね…。8000円の価値があるのなら8000円にしないと、例えばその半分の価値があるサービスをやろうとしている方が4000円取れなくなってしまうのですよね。世の中基本的にそのような仕組みなので、逆に言えば良い仕事をしながら利益を上げないのは不可能ですね。

とはいえなるべく重層的な構造にして、そこを汲み取れる方にはさらにもっとお値段以上な内容にしたいと考えています。まあそこまで理想が達成できるかは分かりませんが、生ひらさわに会いたい方はこの機会にぜひ。

仕事とセルフ・プロデュース

このブログ、お陰様で多いときは1日1000人くらいの方に読みに来て頂けています。このブログは僕の個人サイトの一部ですが、サイト全体ではブログの2.5倍くらいのアクセスがあります。SNSとの連携もSEO対策も何もなくただ発信しているだけなのに有り難い限りです。

その個人サイトは、公開してよい作品を順に載せているのですが、トップページは仕事作品ではなくセルフ・プロデュースの動画や写真で埋め尽くされてしまいましたね。これは仕事をしていないのではなく笑(それを言うと正直猛烈に忙しいです)、仕事作品はサイトに載せられなかったり、載せられるまでにタイムラグがあるものが多いからです。

仕事はいろいろな方が関わっているので当然なのですが、ただ最近は僕の名前を出すことが前提のご依頼もあり新鮮です。そして、今後仕事を僕に関連付けて認識して頂くにはその方向性しかないなとも思います。つまり自分で「僕がこれやったんですよ」と言うのは既に無理があり、もっとオフィシャルな何かに「これはひらさわがやりました」と言って頂くほかない笑。

それは、セルフ・プロデュースと仕事の境界が曖昧になることに他なりません。セルフ・プロデュース作品は実は仕事作品以上に反響があります(これは、個人的に手紙を出せば個人的に返事が来る、みたいなことだと思います)。仕事作品はいろいろな方に協力頂き予算もかけて作り込めるので、両者を融合できれば一番良いなと思います。その作品がクライアント名義であろうと僕名義であろうと他の名義であろうと、質が向上することの恩恵は等しくあるでしょう。

勿論職人的に背後に隠れて仕事をするのも好きなんですけれどね。つまり出たがりと引きこもりの二面性です笑。