映像クリエイター ひらさわ とも のブログです。RSSfeedtomo-hirasawa.comphoto.tomo-hirasawa.comYouTubeInstagramX

なぜIQにあまり興味がなくなったか

前回の続きです。

僕はフリーランスの映像クリエイターで、知人とやっているYouTubeチャンネルでは偉そうにクリエイター志望の方向けにアドバイスを語ったりしています。そこでは一般的な表現に留めていますが、抽象すると殆どの仕事は問いを解く作業です。映像制作も同様で問いを解けるクリエイターなら評価されるしその為に必要なのは論理性です。

しかし、そうであるならばIQテストでハイスコアを出す人から順に社会で評価されるように思えますが、そうなっていません。例えば計算や推論が極めて速いのに、しばしば感情的なバランスを欠く人もいます。そのような人に「最近のPCが落ちにくくなったのは落ちないようにする処理を行っているからだ。計算能力に余裕があるのならそのような処理をできないのか」と言ってみたらその発想はなかったと驚かれたことがあります。問題を直線的に解く際のパワーは凄まじいのにメタレベルの論理性が弱いのです。何故か天才にはこのような傾向を持つ人が多いように観察されます。逆に、僕よりメタレベルの論理性がずっと優れていると感じる(簡単に言えば大人な)人は10代の若者にも沢山います。

僕が人をIQスコアで評価し過ぎるべきでないと考えるのは以上のような理由もあります。ではその意味での偏りのない評価方法は何かというと、僕はそれが完全ではないにせよ既に社会で実現していると感じています。上にも書いたようにこの社会ではスパコンなみに暗算できてもバランスを欠いていたらそれなりの評価に落ち着くからです。「なんだかんだ評判が良くないイーロン・マスク」みたいなことです。

ではそんなアンバランスなタイプは一律にダメかというと、実はそうも思いません。アンバランスが全てダメという考え方自体がアンバランスだし、アンバランスな様子が芸術的に見える人が稀にいるからです。困ったものです。困ったものだけれどむしろ僕は全力でこのタイプを探しています。ただこれはあくまで例外であり、社会の殆どの場面においてはバランスと社会常識を持った人が優位でしょう。

最後少し脱線しましたが、IQという尺度をどこまで重視するかに関しての僕の今の時点での結論とその理由は概ねこのようなものなのです。


投稿日

タグ:

blog top