天才の切実

前回書いた「ピカソは絶対的」というのは我ながら暴論ですよね。先日お友達のSNSに「もし死後もゴッホが評価されないパラレルワールドがあったとしても、ゴッホには価値がある」とコメントしたのですが、これも同じ趣旨です。

アインシュタインに否定された絶対時空がピカソやゴッホの周囲では有効、と言っているようなもので、非論理性の極みです。でも自分の中の最上位のバランス感覚がその非論理性を許容している次第です。

ところで、このような僕の投稿は才能至上主義的だなと自分でも思うのですが、かといってそれは上からな訳でもないのですよ。その感覚を上手く説明できなかったのですが、僕は要するにゴッホが評価されないパラレルワールドに於いてゴッホの説明を試みているのかもしれない、と思いました。

いやいや、少なくともこの世界ではゴッホは評価されてるやん、と思われるでしょうが、本当にゴッホが投げかけたかったものの1万分の1も我々は受け止めていないはずです。天才とのコミュニケーションというのは本質的にそういうものだからです。

「響け!ユーフォニアム」のソロの子の前では他の子がモブになる、という話も、せめてそのくらいは許したれや、みたいなことです。何故ならその子はソロを吹く瞬間以外の全てを、世間から受け入れられないゴッホと同じ心境で過ごしているからです。

本当の才能には上からのニュアンスはなく、むしろ切実な感じがするもののように思います。