祝福と呪い

「響け!ユーフォニアム」TVシリーズからのスピンオフ映画「リズと青い鳥」を観ました。

メインテーマのごく近くを流れるサブテーマとして、本当に才能がある人の実像みたいなものが描かれていて、京アニはこういった描写が唯一無二に凄いなと改めて思いました。

(以下ネタバレ)

この映画の舞台は「響け!ユーフォニアム」と同じ高校の吹奏楽部です。主人公は内気なオーボエ奏者で、唯一の友人であるフルート奏者とソロの掛け合いをやる(ことを言い訳に親睦を深める)為だけにコンクールを目指すような、それなんか違うんじゃね的なスタンスの人です。

その主人公の目線で語られるので、映画は静かな、悪く言えば陰キャ感が前面に出たトーンで進んでいきます。主人公が憧れる友人は典型的な陽キャで、努力もするし才能もある人です。

でも蓋を開けてみれば実は、その地味なはずの主人公こそが真の天才で、彼女が本気モードで演奏すると周囲を全員ねじ伏せてしまいます。陽キャ友人はそのことを分かっていたし、どんなに意識高く努力しても策を練っても主人公には届かないのです。

そしてここが本当に切ないのですが、かといって主人公は周囲をねじ伏せたい訳でも、まして陽キャ友人に勝ちたい訳でもなかったのです。彼女はただ友人に近づきたいだけで、それだけの想いで吹いているからこそ周囲の心を揺さぶるという、皮肉に見えてその実極めて本質を突いた構造になっています。

だから「それなんか違うんじゃね的なスタンス」と上に書きましたが、実はそれこそがアートだったのです。でも陽キャ友人はそこまでは分からないし、もし分かったとしても同じ真似はできないでしょう。

才能は祝福であると同時に呪いでもある訳ですが、でも最初に書いたようにそれはこの映画のメインテーマではなくサブテーマです。メインテーマは、そのような呪いすら2人がどのように乗り越えたか、という部分にあります。映像美はまさに究極のレベルだし、自分的にはこの映画は最高傑作です。

絶対的ピカソ

パブロ・ピカソ

(1881 マラガ-1973 ムージャン) 1923年頃、油彩・カンヴァス、160.0×95.0cm …

今回も前回と同じ構造の話。横浜美術館で開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち 」を見に行きました。勿論ルノワール目当てだったのですが、その時代の他の画家の絵も展示されていて、ピカソもありました。

ピカソは「凄いことになっているけれどサッパリ分からない」的な扱いをされる画家の代表だと思いますが、結論から言うと本当に凄いのです笑。勿論好みは人それぞれなので、作品の絶対的価値なんて通常は論じる意味がありません。ですがそれでも尚、ピカソは別格なのです。

そんな訳でピカソが全人類的なコンセンサスとしてラスボス扱いなのは妥当だけれど、その反面不思議です。様々な価値観が入り乱れる社会なのに、どうして総体としては見事な審美眼を発揮できるのか?

とにかくそんなピカソなので、個人的には他の画家と一緒に展示するのは向かない気がします。どうしても他が霞むからです。そういえば自分は歌番組が苦手だった、とその時思い出しました。ある曲に集中したら他への切り替えが難しいからですが、もう少しいい加減に物事を受け取らないと美術館にも行けないのでその辺は誤魔化しています。でもピカソはその誤魔化しを許さずに頭をぶん殴ってきます。

そして「美術館の都合など無視しろ、この絵が全てだ」と訴えてくるのです。

青春とアート

最近の大人買い。「響け!ユーフォニアム」という、高校の吹奏楽部を舞台にした京アニ作品です。

若者よ、自覚ないかもだけど君たちは輝いてるよ、というような演出が京アニは得意です。京アニはよくキラキラした光の効果を映像に乗せるのだけれど、その光はキャラ本人たちではなく、彼らを見守る大人(や視聴者)にとって眩しいのです。1期オープニングでの、音楽室をカメラが回り込むカットはそんな京アニの技術力と執念の結晶です。

吹奏楽の全国大会を目指し部員たちが懸命に努力する、という青春ストーリーなのだけれど、一方で、力のある部員はそれとは全然違うものを見ている、という面もちゃんと描かれています。1人浮いているけれど一番才能のある子がソロを吹く時、指揮者とその瞬間だけは全てが通じ合います。その他の輝いているはずの子たちはモブになってしまうのです。最早それは青春でも平等でも仲間でも絆でもなく、そこにあるのはアートと愛だけです。

そういう二重構造が物凄く魅力的だし、京アニは深夜アニメの枠で勝手に映画を作っているようなところがあります。脚本も演出もCGもなにもかも素晴らしいのだけれど、特に、今は亡き総作画監督池田晶子さんによる技術と愛情と狂気が全て盛り込まれた作画には心打たれます。

注射

映画「X-MEN」の超能力者の描写は凄い、という話を先日書きましたが、その続き。

「X-MEN:フューチャー&パスト」では、一番人格者で最強の超能力者が、若い頃自分の能力を麻痺させる注射を打っていた、というエピソードが出てきます。しかし他人を助けるには能力が必要なので注射を諦めるシーンは本当に胸に迫るものがあります。ただそういうシーンだけだと内省的になり過ぎるので戦闘シーンではCG全部乗せみたいなことをやるのが、監督であるブライアン・シンガーのバランス感覚です。

ですが、彼に対しては「CG偏重であまり分かっていない監督だ」という評価も多いことを最近知って驚きました。つまり注射のシーンが概ねスルーされているのです。人は時として注射を打ちたくなることがリサーチの結果分かったのでそういう場面を入れた、というだけのドラマや映画と、実際に注射を打ちたい人が作った作品は僕にとっては全く違います。極論すればただ主人公が歩いているだけでも、シンガー(やそちら側の人)が撮ったものは大体分かります。だからこそ、その違いが多くの人には見えないことが分からなかったのです笑。

シンガーはそんなに天才なのに、というか天才であるが故に、社会人としては物凄く問題の多い人のようです。「ボヘミアン・ラプソディ」は彼の監督作品ですが途中で降板させられています。そういう人だからこそ注射のシーンが撮れる訳なので、当然ながら、言うまでもなく、彼に助言なんてできません。敢えて言えばそのまま頑張ってと思うだけです。

「X-MEN」という超能力者達の戦いを描いた映画を観た方も多いかと思います。主人公はウルヴァリンという、拳からシャキーンと金属の爪を出す男です。1作目の序盤、少女がウルヴァリンに「爪を出すとき痛くないの?」と尋ねるシーンがあります。ウルヴァリンは「…痛いさ」と答えるのですが、僕はこの時点でこの監督を信用することに決めました。

前回書いた「SCORPION/スコーピオン」は、高IQ者のことをかなりリサーチしていると思います。よって上の例で言えばウルヴァリンの爪の話は把握しているのですが、「痛くないの?」とまでは訊いていないのです。実は、ウルヴァリンにその質問をする少女もまた超能力者です。触れるだけで相手を殺してしまうという呪いのような能力を持っているが故にウルヴァリンのことも分かる(そういうとんでもない難役なのでアカデミー賞受賞子役、アンナ・パキンが演じています)。そしてそういう人物を描ける監督もまた、少女やウルヴァリンと同じ側の人間であることが予想できます。

勿論何か能力を持てばその分暗くなる、という話ではないのですが、ただ人の心はとても複雑なバランスの上に成り立っているので、大きな何かを加えればそれだけ全体が影響を受けます。これは例えば高額の宝くじに当選した人がバランスを崩すのと同じです。そしてその揺らぎの切なさは、描ける人と描けない人がいる、ということです。

「X-MEN」も人気が出ていろいろな人が監督をするようになり、だんだんと「俺の爪無敵すぎワロタ」みたいな空気になっていくのですが笑、まあそれはそれで楽しいんですけれどね。「SCORPION/スコーピオン」もまた然りです。