「X-MEN」という超能力者達の戦いを描いた映画を観た方も多いかと思います。主人公はウルヴァリンという、拳からシャキーンと金属の爪を出す男です。1作目の序盤、少女がウルヴァリンに「爪を出すとき痛くないの?」と尋ねるシーンがあります。ウルヴァリンは「…痛いさ」と答えるのですが、僕はこの時点でこの監督を信用することに決めました。

前回書いた「SCORPION/スコーピオン」は、高IQ者のことをかなりリサーチしていると思います。よって上の例で言えばウルヴァリンの爪の話は把握しているのですが、「痛くないの?」とまでは訊いていないのです。実は、ウルヴァリンにその質問をする少女もまた超能力者です。触れるだけで相手を殺してしまうという呪いのような能力を持っているが故にウルヴァリンのことも分かる(そういうとんでもない難役なのでアカデミー賞受賞子役、アンナ・パキンが演じています)。そしてそういう人物を描ける監督もまた、少女やウルヴァリンと同じ側の人間であることが予想できます。

勿論何か能力を持てばその分暗くなる、という話ではないのですが、ただ人の心はとても複雑なバランスの上に成り立っているので、大きな何かを加えればそれだけ全体が影響を受けます。これは例えば高額の宝くじに当選した人がバランスを崩すのと同じです。そしてその揺らぎの切なさは、描ける人と描けない人がいる、ということです。

「X-MEN」も人気が出ていろいろな人が監督をするようになり、だんだんと「俺の爪無敵すぎワロタ」みたいな空気になっていくのですが笑、まあそれはそれで楽しいんですけれどね。「SCORPION/スコーピオン」もまた然りです。

典型的IQ100

「SCORPION/スコーピオン」という、天才集団がいろいろな事件を解決していくというドラマを観てみました。

序盤に「28日まであるのは何月?」というクイズに主人公が「毎月」と答える場面があります。正解を「2月」とする出題者や世間より主人公の論理性が高いという描写で、良くできていると思います。

ただ実は「2月」というのはかなり鈍い答えで、「毎月」と思う人も多いのではないでしょうか。つまりこれは、実際には論理性低と中の比較であるような例を、まるで中と高の比較であるように見せることでドラマの分かりやすさを保つという脚本上のテクニックです。

本当に論理性がずば抜けて高い人をそのまま描いたら理解できる人が減るので噛み砕くことは必要だし、このブログも天才を話題にする際はその手法を使っています。但し噛み砕く度合いは「SCORPION」のほうが甚だしいです。僕にはあの主人公達はIQ140のステレオタイプを演じるIQ100に見えます。つまり噛み砕かれ過ぎなのか天才の原型が感じられないのです。

主人公のモデルであり製作総指揮も務めている人はIQ197である、という触れ込みです。その彼は自分自身を描くことを完全に諦めているか、実際には高IQではないかのどちらかのように思えます。そして仮に諦めて他の目的の為にドラマを作ったのだとしても「IQ140のステレオタイプを演じるIQ100」をイキイキと描く必要はない気がするので笑、僕は真相は後者なのかなと思っています。

お願いマッスル

このインパクトがあり過ぎる曲は「ダンベル何キロ持てる?」のテーマソングです。女子高生がめちゃモテボディになりたくて筋トレを頑張るというだけのアニメなのですが、テーマソングともども今季ダントツの高評価を叩き出しています。かくいう僕も信者状態。

なんだかもう、この圧倒的な明るさと、頑張っていこう!的な熱情が今どき本当に希少で涙が出ます。前回の内容に絡めて書くとIQって基本的に生涯変わらないので頑張れないのですよ(だからメンサの入会試験に関しても「試験対策はない」と公式に宣言されているし、受かれば生涯資格継続なのです)。変更できないということ自体が身も蓋もなくて夢がないのです。
頑張りようがないから、設定オールリセットで転生して強くてニューゲームみたいな「なろう」小説が流行る訳ですが夢のなさは変わりません。現世を諦めた上でのフィクションなのでね。

でも、それってなんだか難しく考えすぎじゃね?それより筋トレだ、頑張ればモテる!いぇーい!みたいなアニメを唐突に提示されて僕も皆もこれだけハマるというのは、やっぱり皆どこか疲れていたのかもしれないね。

京アニ

「らき☆すた」のオープニングで曲が大転調しダンスが始まった瞬間に、自分の中では京アニがその時点でのNo.1スタジオになりました。同作の、作画の手間ミニマム演出効果マキシマムのエンディングも忘れません。

「ハルヒ」はアニメを観た後で原作を読み、アニメでは通奏低音になっている素敵すぎる情緒が原作には意外となかったのに驚きました。そこは京アニのオリジナルだったのです(勿論原作は原作で大好きなのですが)。そして僕が今まで観た中で一番好きな映画は、その通奏低音が主旋律になる「涼宮ハルヒの消失」です。僕は自分自身がこの映画の長門有希に思えることがあります。

「けいおん!」のオープニングで、唯たちが走るだけのカットにキラキラとCGの光が入る演出が大好きでした。唯たちにとっては日常風景である教室を、万感がこもったCGとエフェクトで描き出す考え方も同様。ちなみに「けいおん!」の1話で僕はほぼ全てのキャラに名前を呼んでもらえます笑(まだ他人行儀で主人公の「平沢唯」を皆名字で呼ぶから)。劇場版は通常の意味でのドラマチックな要素はないのに極めて映画的で天才かよと思いました。

京アニは創造性の塊なのです。

1人

宇多田ヒカルさんの最新ライブblu-rayが届きました。

広い会場を埋める満員の観客に注目されているステージで、それでも自室に1人でいるような表情をする彼女がとても印象的でした。観客からの歓声にも応援にも嬉しそうに応えるのだけれど、間近にいるのにホログラムなので実質的には何も受け渡せないような距離感。それでも彼女はあり得ないくらいクレバーなので、その構造すら超えて何かを受け渡そうとするし、実際それは届くのです。

そういえば小室哲哉も、ステージで機材に囲まれながら自室に1人でいるPCヲタの表情をしていたなと思います。だんだんそうでなくなって来た時には仕事の本質が壊れ始めていた。

そんな彼らの仕事のスケールとは比べ物にならないけれど、僕のブログや(主に仕事外の)作品を凄く熱心に受け取ってくれている方々がいるのは承知しています。僕の距離感もとてもホログラム的なのだけれど、何かを受け渡せるように頑張ります。そう思わせてくれる彼らは凄い。