彼岸

先日ご紹介した京アニの映画「リズと青い鳥」ですが、その後観返すうちに今までで一番好きな映画になりました。正直ここまで好きだとグッズも欲しくなるのですが少し前の映画なのでもう売ってない!今までは「グッズはアニメ本編と関係ないじゃん。グッズを買い漁るアニメヲタクの気持ちは分からんなー」などと思っていたのですが、今ではめっちゃ分かります笑。

ちなみに上は入場者特典のイラストカードなのですが、この絵も素晴らしいです。右端の2人は主人公達吹奏楽部が演奏する曲<リズと青い鳥>の登場人物で、アートそのものを表していると思われます。そして最も才能のある主人公(右から3番目)だけがアートと触れ合っています。それ以外の部員たちはお互いを見ているのに、主人公はアートしか見ていないし、それどころか少し彼岸に踏み込んだ地点に立っています。この絶望的なまでの断絶よ!
そして実は主人公以外の人物もアートから愛されている人ほど右側にいます。更にこのシリーズをずっと追ってきた印象として、たぶん人としての幸せはその順番と逆なのです。なんと残酷で美しい作品世界。

恐らくこの絵も彼の筆によるものであろう、総作画監督の西屋太志さんが既に故人であることがとても悲しいです。

ダウニー度

すっかり超大作路線の「アベンジャーズ」ですが、元祖である「アイアンマン」1作目はロバート・ダウニーJrの躁鬱っぽい役作りが光る映画でもありました。当時彼はドラッグで身を持ち崩して干されており、その精神状態を役に昇華させたのです。

この映画を観て思ったのは「その人をつい見てしまう」のがスター性だとするとアンバランスさもスター性だな、ということでした。勿論アンバランスな人が皆スターという訳ではないし、通常レベルのスター性はむしろ安定感から成り立っているかもしれません。でもロバートダウニーのような訳の分からない魅力はエッセンスとして若干の不安感を含んでいるような気がするのです。

そういう人の調子が良い時と悪い時では、もしIQテストをやっても結果が違う気がします。超プラスと超マイナスが頻繁に入れ替わるというか。そのような性質を仮にダウニー度と名付けましょう。ダウニー度はIQを要素として含んでいるもののIQそのものではないことは確かです。

僕は高IQの人に惹かれる反面「IQが高ければいいってもんじゃない」という論調にも賛成なのですが、その両方を説明する為の一つの方向性としてダウニー度は有効な気がします。単にIQが高い(超プラス)だけの人は、超マイナスの要素が欠けているのでダウニー度が低い、みたいに言えるからです。

以上、勿論学術的な議論ではないので一種の詩だと思って頂ければ幸いですが、僕がこんなことを書きたくなったのはyoutubeで大人気のけいちゃんというピアニストの動画を観たからです。もしかして語弊があるかもしれませんがひたすら良い意味に於いて、彼のピアノを弾く様からは超プラスと超マイナスの揺らぎを感じて大好きです。

祝福と呪い

「響け!ユーフォニアム」TVシリーズからのスピンオフ映画「リズと青い鳥」を観ました。

メインテーマのごく近くを流れるサブテーマとして、本当に才能がある人の実像みたいなものが描かれていて、京アニはこういった描写が唯一無二に凄いなと改めて思いました。

(以下ネタバレ)

この映画の舞台は「響け!ユーフォニアム」と同じ高校の吹奏楽部です。主人公は内気なオーボエ奏者で、唯一の友人であるフルート奏者とソロの掛け合いをやる(ことを言い訳に親睦を深める)為だけにコンクールを目指すような、それなんか違うんじゃね的なスタンスの人です。

その主人公の目線で語られるので、映画は静かな、悪く言えば陰キャ感が前面に出たトーンで進んでいきます。主人公が憧れる友人は典型的な陽キャで、努力もするし才能もある人です。

でも蓋を開けてみれば実は、その地味なはずの主人公こそが真の天才で、彼女が本気モードで演奏すると周囲を全員ねじ伏せてしまいます。陽キャ友人はそのことを分かっていたし、どんなに意識高く努力しても策を練っても主人公には届かないのです。

そしてここが本当に切ないのですが、かといって主人公は周囲をねじ伏せたい訳でも、まして陽キャ友人に勝ちたい訳でもなかったのです。彼女はただ友人に近づきたいだけで、それだけの想いで吹いているからこそ周囲の心を揺さぶるという、皮肉に見えてその実極めて本質を突いた構造になっています。

だから「それなんか違うんじゃね的なスタンス」と上に書きましたが、実はそれこそがアートだったのです。でも陽キャ友人はそこまでは分からないし、もし分かったとしても同じ真似はできないでしょう。

才能は祝福であると同時に呪いでもある訳ですが、でも最初に書いたようにそれはこの映画のメインテーマではなくサブテーマです。メインテーマは、そのような呪いすら2人がどのように乗り越えたか、という部分にあります。映像美はまさに究極のレベルだし、自分的にはこの映画は最高傑作です。

絶対的ピカソ

パブロ・ピカソ

(1881 マラガ-1973 ムージャン) 1923年頃、油彩・カンヴァス、160.0×95.0cm …

今回も前回と同じ構造の話。横浜美術館で開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち 」を見に行きました。勿論ルノワール目当てだったのですが、その時代の他の画家の絵も展示されていて、ピカソもありました。

ピカソは「凄いことになっているけれどサッパリ分からない」的な扱いをされる画家の代表だと思いますが、結論から言うと本当に凄いのです笑。勿論好みは人それぞれなので、作品の絶対的価値なんて通常は論じる意味がありません。ですがそれでも尚、ピカソは別格なのです。

そんな訳でピカソが全人類的なコンセンサスとしてラスボス扱いなのは妥当だけれど、その反面不思議です。様々な価値観が入り乱れる社会なのに、どうして総体としては見事な審美眼を発揮できるのか?

とにかくそんなピカソなので、個人的には他の画家と一緒に展示するのは向かない気がします。どうしても他が霞むからです。そういえば自分は歌番組が苦手だった、とその時思い出しました。ある曲に集中したら他への切り替えが難しいからですが、もう少しいい加減に物事を受け取らないと美術館にも行けないのでその辺は誤魔化しています。でもピカソはその誤魔化しを許さずに頭をぶん殴ってきます。

そして「美術館の都合など無視しろ、この絵が全てだ」と訴えてくるのです。

青春とアート

最近の大人買い。「響け!ユーフォニアム」という、高校の吹奏楽部を舞台にした京アニ作品です。

若者よ、自覚ないかもだけど君たちは輝いてるよ、というような演出が京アニは得意です。京アニはよくキラキラした光の効果を映像に乗せるのだけれど、その光はキャラ本人たちではなく、彼らを見守る大人(や視聴者)にとって眩しいのです。1期オープニングでの、音楽室をカメラが回り込むカットはそんな京アニの技術力と執念の結晶です。

吹奏楽の全国大会を目指し部員たちが懸命に努力する、という青春ストーリーなのだけれど、一方で、力のある部員はそれとは全然違うものを見ている、という面もちゃんと描かれています。1人浮いているけれど一番才能のある子がソロを吹く時、指揮者とその瞬間だけは全てが通じ合います。その他の輝いているはずの子たちはモブになってしまうのです。最早それは青春でも平等でも仲間でも絆でもなく、そこにあるのはアートと愛だけです。

そういう二重構造が物凄く魅力的だし、京アニは深夜アニメの枠で勝手に映画を作っているようなところがあります。脚本も演出もCGもなにもかも素晴らしいのだけれど、特に、今は亡き総作画監督池田晶子さんによる技術と愛情と狂気が全て盛り込まれた作画には心打たれます。